2014年10月1日水曜日

富岡製糸場

評判の富岡製糸場を見学してきた。
駐車場は群馬ナンバーだけでなく、全国からのナンバーが見られた。製糸場周辺は有料駐車場、歩いて15分ぐらいのところに無料駐車場があった。
最寄り駅の上州電鉄「上州富岡駅」はモダンな建物。
製糸場までは10分ほどの道程であるが、途切れなく人が歩いていた。
製糸場は説明員が丁寧に説明してくれた。

 上州富岡駅、これが駅かと思うような建物。
 東繭倉庫前。
 東繭倉庫の入り口上に「明治五年」の文字が見える。
 象徴的な煙突がそびえている。
 製糸場を横から見た所。
 製糸場の天井。建物の中央には柱が無い。この「トラスト構造」により屋根を支えている。
 昼時は閑散。
街の至る所に、「世界遺産決定」の貼り紙があった。

甘楽町の小幡藩

武州小幡は織田信長の次男信雄(のぶかつ)が所領とする小幡藩があった。信雄は秀吉反抗して尾張を取り上げられた。その後東軍について家康からこの小幡を与えられた。
信雄から7代続いたが、7代藩主信邦のときに蟄居を命ぜられ、跡を継いだ養嗣子・信浮は出羽高畠藩へ移され、7代で織田家はここを去ることになった。



 織田宗家7代までの墓所。墓石はかなり風化していたが、初代の墓は寛永7年と読める。
 初代信雄が7年の歳月をかけて築いた回遊式庭園「楽山園」
珍しい四方竹が植栽されていた。

 中央に梅の茶屋、その右は腰掛茶屋。
このふたつの建物が素晴らしい。気分が落ち着く。
 梅の茶屋から池を見下ろす。右に見える腰掛茶屋は五角形の形をしている。
小幡藩邸跡

深谷と渋沢栄一

富岡製糸場へ行くついでに友人の居る深谷を歩いてい見ました。
深谷はネギでは知っているのですが、煉瓦工場が有名だったとは知りませんでした。
また、深谷は渋沢栄一の生まれた土地でもある。
日本で初めての機械式煉瓦工場が渋沢栄一らによって建てられた。

 深谷駅。東京駅か思ってしまいますが、これは深谷駅。煉瓦工場があったということで煉瓦で造った駅ということでしょう。
 全国どこにでもある、深谷市イメージキャラクターの「ふっかちゃん」。
 煉瓦造りの「誠之堂」
これは、喜寿を迎えた渋沢栄一のために第一銀行行員の出資により建築された。
もともとは、東京都世田谷区瀬田の第一銀行の保養施設の敷地内あったものを深谷に移築したもの。
渋沢栄一の生地。
旧渋沢邸「中の家(なかんち)」の正門。
周りが渋谷家の分家で囲まれており、
中心にあったのがこの「中の家」。