2014年10月1日水曜日

甘楽町の小幡藩

武州小幡は織田信長の次男信雄(のぶかつ)が所領とする小幡藩があった。信雄は秀吉反抗して尾張を取り上げられた。その後東軍について家康からこの小幡を与えられた。
信雄から7代続いたが、7代藩主信邦のときに蟄居を命ぜられ、跡を継いだ養嗣子・信浮は出羽高畠藩へ移され、7代で織田家はここを去ることになった。



 織田宗家7代までの墓所。墓石はかなり風化していたが、初代の墓は寛永7年と読める。
 初代信雄が7年の歳月をかけて築いた回遊式庭園「楽山園」
珍しい四方竹が植栽されていた。

 中央に梅の茶屋、その右は腰掛茶屋。
このふたつの建物が素晴らしい。気分が落ち着く。
 梅の茶屋から池を見下ろす。右に見える腰掛茶屋は五角形の形をしている。
小幡藩邸跡

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